八十八&一二三の文楽れんらくちょう

人形浄瑠璃文楽に関する情報を集めております。 情報お待ちいたしております。

カレンダー

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

1人でも多くの方に文楽関連情報をお届けしたく、ランキング参加中です。
にほんブログ村 演劇ブログ 古典芸能へにほんブログ村
FC2 Blog Ranking


【産経】文楽三味線・鶴澤清治 空気切り裂く音色(08/10)

【産経新聞】より。

【至芸】文楽三味線・鶴澤清治 空気切り裂く音色(2010年8月10日(火)15:14)

 昭和46年、東京・国立小劇場。文楽屈指の大曲「熊谷陣屋」が出た。

 前半を勤めたのは、竹本越路大夫と鶴澤清治。越路大夫は当時、クライマックスを語る切場語りであり、その年、人間国宝にも認定された文楽太夫の第一人者。三味線の清治はまだ20代半ばの若さであった。「緊張、緊張の連続だった。当たり前だが、芸の力の差をまざまざと見せつけられ、芸の圧力すら感じた」と、当時を述懐する。

 親子ほど違う年齢差。しかし越路大夫は、若い清治にこう言ったという。「このすごい、大きな出し物に2人で全力でぶつかろうじゃないか」と。

 あれから40年近くが過ぎた。清治は越路大夫と同じ、人間国宝となり、文楽三味線の第一人者のひとりとなった。「あの公演での経験は自分にとって未知の芸の世界だった」。これが文楽という芸なのだと、越路大夫は身をもって前途有望な若い三味線弾きに教えたのかもしれない。越路大夫とはその後、13年にわたってコンビを組んだ。その間、勤めた切場はちょうど50段。清治の財産である。

 ザクッという切れ味の鋭い音色は聴く者の内臓にまで重く響き、全力で打ちつける打ち撥が場内の空気を切り裂く。清治の三味線には“真剣”で戦っているような、そんな迫力と凄みがある。

 7歳で、四世鶴澤清六の弟子になり、師が亡くなった後は十世竹澤弥七ら時代を代表する名人の薫陶を受けた。越路大夫亡き後は、次代の太夫を育てたいと、若い太夫を弾いている。

 3年前には東京の国立劇場でリサイタル「芸の真髄」を開き、難曲「阿古屋琴責」を人間国宝、竹本住大夫、竹本綱大夫とともに披露、聴衆を魅了した。

 「自分の頭の中には、つねに清六師匠をはじめ、尊敬する先輩方の音色がある。その音を目指していくだけ。自分の個性なんておこがましい。肉体の条件が違うのだから、そういうのはおのずから出てくる」

 そんな清治がいま危惧しているのは文楽の芸の質の低下。「すべてに責任を持つ芸術監督をおくとか、本公演を一軍と二軍にわけるとか、抜本的な改革をしないと将来大変なことになる」

 文楽の芸の高みをめざし続ける目は鋭い。(亀岡典子)




1人でも多くの方に文楽関連情報をお届けしたく、ランキング参加中です。
にほんブログ村 演劇ブログ 古典芸能へにほんブログ村
FC2 Blog Ranking


FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。