八十八&一二三の文楽れんらくちょう

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【産経新聞】【舞台はここに】文楽「心中天網島」 大阪・北新地"

【産経新聞】より。

【舞台はここに】文楽「心中天網島」 大阪・北新地 (2010年11月6日)

 ■夢とロマン与える「女の街」

 きらびやかなネオンの下を、客を見送るロングドレスの女性たちが華やかな笑顔を見せる。ひっきりなしに行き交うタクシー、その横をほろ酔いのサラリーマンが大声で笑いながら通り過ぎていく。

 大阪・北新地。国道2号線から堂島川まで南北約300メートル、御堂筋から四ツ橋筋まで東西約500メートルのエリアに無数のクラブ、バー、飲食店がひしめく。昼と夜でまったく異なる“顔”を持つキタ随一の歓楽街。江戸の昔は華やかな花街であった。

 ♪娼(よね)が情(なさけ)の底深き、これかや恋の大海を、かへも干(ほ)されぬ蜆(しじみ)川、思ひ思ひの思ひ歌-

 近松門左衛門の「心中天網島」は、江戸時代、北新地にあった茶屋・河庄を舞台に、妻も子もある中年男・治兵衛と曽根崎新地の遊女小春の心中物。その「北新地河庄の段」の冒頭には、かつて北新地の真ん中を東西に、三日月の形に流れていた蜆川が情緒豊かに詠み込まれている。

                   ◇

 「『河庄』を語っていると、いまも、あの時分の北新地の光景がよみがえってくる」。文楽太夫の人間国宝、竹本住大夫さんは遠くを見つめる目をした。

 住大夫さんは大正13年、大阪市北区堂島で生まれ、子供時代を北新地で過ごした。「それはにぎやかでしたなあ」

 家の隣にはお茶屋があり、並びには美人座というカフェーもあった。外国煙草も扱う煙草屋を営んでいた住大夫さんの家には芸妓らがしょっちゅう煙草を買いに来たという。

 「芸妓はんのお披露目やというと、後ろからくっついて歩くのが好きやった。芸妓はんもみな、かわいがってくれました」

 文楽で「心中天網島」を勤めることの多い住大夫さんだが、生まれた年に、蜆川が埋め立てられたのも何かの縁であろう。

 きっかけは明治42年の大火。蜆川の上流部ががれきの捨て場となり、大正13年には残り全部が埋め立てられた。歴史ある川は姿を消したのである。

                   ◇

 平成の北新地。いまも、「女性が主役の街」は変わらない。

 「Bar織田」を営む織田高央さんは「昔からの華やかな花街の歴史を踏まえた上でいまがある。女性の街を守らせてもらう。そんな思いでやっています」

 北新地社交料飲協会の広報部長もつとめる織田さんは、北新地をよりいい街にするため、広報誌を編集、北新地クイーンを企画するなど活発に活動する。「お客さまにはこの街に夢とロマンを感じてほしい」

 織田さんに、昔ながらの「女坂」があると聞いて行ってみた。北新地の北東、国道2号線から細い道を南に入ってゆくと石畳の緩やかな坂に出合う。

 ♪さほど心残らば泣かしゃんせ泣かしゃんせ。その涙が蜆川へ流れて小春の汲んで飲みやらうぞ…

 夫・治兵衛が小春に未練があると知って悲しむ妻・おさん。その嘆きが胸をつく。

 女坂をゆっくり上ってみると、小春やおさんのささやきが聞こえた気がした。北新地は、男と女の涙も嫉妬も喜びも、いろんな思いを飲み込んだ街である。(亀岡典子)

                   ◇

【メモ】近松門左衛門(1653~1724年)

 江戸・元禄期に上方で活躍した浄瑠璃、歌舞伎作者。特に「心中天網島」「曽根崎心中」「女殺油地獄」など大坂を舞台に町人のドラマを描いた世話物といわれるジャンルに多くの傑作を残した。初めて近松が書いた心中物は「曽根崎心中」で、実際に起こった心中事件をもとに浄瑠璃を書き下ろし、わずか1カ月後に大坂・竹本座で人形浄瑠璃で初演されている。心中物は庶民の人気を呼び、影響を受けて心中する人が後を絶たなかったため、幕府は心中禁止令を出したほどだ


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