八十八&一二三の文楽れんらくちょう

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【産経新聞】近松門左衛門「曽根崎心中」 大阪・生國魂神社 恋の覚悟問う

【産経新聞】より。

近松門左衛門「曽根崎心中」 大阪・生國魂神社 恋の覚悟問う


 「死ぬる覚悟が聞きたい」-。

 振り絞るように愛する徳兵衛に心中の覚悟を問う遊女お初。白い素足を縁の下の徳兵衛に差し出すと、男はその足をひっしとつかんで自分の喉に押し当てた。

 そのとき、お初を演じる歌舞伎俳優、坂田藤十郎さんの顔に官能の炎が浮かび上がってみえた。

 近松門左衛門が〈恋の手本〉と書いた『曽根崎心中』。大坂の醤油屋の手代・徳兵衛と天満屋の遊女・お初の純愛は、歌舞伎や文楽として昇華され、時を越えて現代を生きるわたしたちの胸を熱くする。

 『曽根崎心中』にはいまも残る大阪の地名や場所がいくつも登場するが、事件の発端、徳兵衛が悪友の九平次に辱められた場所こそ、「いくたまさん」の愛称で知られる生國魂(いくくにたま)神社だ。地下鉄谷町九丁目駅からほど近い、千日前通りを少し南に入っていくと、公園に囲まれた短い参道が現れる。ミナミの華やかさや近くの阪神高速を通る車の喧噪が嘘のような静けさだ。

 大阪で一番高いといわれる立派な社殿を見上げていると、目の前を若いカップルが通り過ぎていった。

 ■色あせぬ二人の契り

 そのとき、徳兵衛は25歳、お初は19歳だった。

 『曽根崎心中』は、江戸・元禄時代、近松が実際の心中事件をもとに人形浄瑠璃のために書き下ろした作品。舞台は大当たりし、お初徳兵衛に影響され、心中する恋人たちが後を絶たなかったという。

 その後何百年も上演されることはなかったが、昭和28年、まず歌舞伎が復活初演、2年後には文楽でも復活。初演から3百年以上たったいまも、二人の恋はあせることなく、日本はもちろん海外でも深い共感を呼んでいる。

 復活初演から1300回以上お初を演じ続けている坂田藤十郎さんは「毎回、新しい気持ちで徳兵衛に恋をしている」という。

 「お初や徳兵衛が生きていた時代、神社仏閣は庶民にとってテーマパークのようなものだった」というのは、境内を掃き清めていた生國魂神社の権禰宜(ごんねぎ)、中村文隆さん。「この境内にも、芝居小屋や食べ物小屋などがぎっしりひしめいていたそうで、それはにぎやかだったでしょうね」

 歌舞伎『曽根崎心中』の生國魂神社の場面には、客に連れられて来たお初、丁稚とともにやってきた徳兵衛をはじめ、大勢の人たちがワイワイ境内に集まっている様子が描かれている。

 「道頓堀へは寄りやんなや」。徳兵衛は丁稚を先に帰す際、ひと言くぎを刺す。生國魂神社から芝居街として有名だった道頓堀まではすぐ。道頓堀で遊んで寄り道するな、ということであろうが、こんなせりふ一つにも当時の大坂の街の雰囲気がしのばれる。

 現代の生國魂神社は、古典芸能にゆかりの深い神社としても知られている。

 境内の向かって右側には上方落語の祖といわれる初代米澤彦八の碑が立つ。江戸時代、彦八はここで仕方噺などを演じていたという。その奥に入っていくと、文楽関係者を祀(まつ)る浄瑠璃神社もあり、上方芸能と生國魂神社は切っても切れない関係にある。

 「毎年9月の『彦八まつり』には10万人の方が見えて境内は大にぎわい。江戸時代はこんな感じだったのかな」と中村さん。

 〈この世の名残、夜も名残。死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、ひと足づつに消えて行く。夢の夢こそあわれなれ…〉

 静かな境内をひとり歩いていると、お初と徳兵衛が心中に向かう様子を描いた近松の名文がふと、口をついた。(文・亀岡典子)


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