八十八&一二三の文楽れんらくちょう

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【毎日JP】毎日芸術賞の人々:/中 津島佑子さん/豊竹咲大夫さん/坂茂さん

【毎日JP】より。

毎日芸術賞の人々:/中 津島佑子さん/豊竹咲大夫さん/坂茂さん

 ■文学1部門(小説・評論) 津島佑子さん 『黄金の夢の歌』(講談社)

 ◇人間の力を信じたい
 「刊行してほぼ1年、認めていただいて望外の喜びです。この本に書いた世界を、見直してくれるきっかけになれば本当にありがたい」

 東日本大震災直後、自分が書いてきた本のことは、半ば「どうでもよくなった」という。だが、時間がたつにつれ「意味のないことをやってきたわけではない」とひっそりかみしめていたところ、受賞の報に接した。

 『黄金の夢の歌』は、一人の日本人女性が、キルギスに伝わる英雄叙事詩「マナス」の歌を求めて中央アジアを訪ねる。2008年、著者自身が体験したキルギスや中国・黒龍江省、内モンゴル自治区への旅を、紀行文や旅行記の枠を超えた文学作品に仕上げた。生と死、自然と人間が共存する「マナス」の神話的世界。虚実を交錯させながら、歌に込められた伝承と歴史の記憶を、主人公はたどる。

 「歌の中に自分たちの土地のいわれが全部含まれているんですね。夢の時代で眠っていた先祖が、むっくと目覚めて歌い出す。イギリスの旅行作家、ブルース・チャトウィンが『ソングライン』という言葉で表現しています」

 章によって「あなた」と「わたし」の二つの人称を使い分けていることも、本作を特徴づける。「あなた」の二人称は、日本に戻った著者が、旅の途上の著者に語りかける形式。外部からの視点が、作品世界に広がりを与える。「客体化させたかったんですね。旅行中はどこに行っても、東京で日常を送る自分がいるような気がする。そんな錯覚も出したかった」と話す。

 学生の頃からアイヌの口承文芸「ユカラ」にひかれ、ライフワークとしてその探究に取り組んできた。「動物たちを通して、人間がいかなる存在か、突き放して見ようとしている。この想像力はすごいと思った」。近代国家における少数民族や遊牧民、マイノリティーのあり方を問う姿勢は、本書につながっている。

 「逆境のなかで、いかにしてプライドを守り生き抜くか。だけどあきらめないという力。人間にそんな力があると信じたい。いま改めて思います」【棚部秀行】

 ■演劇・邦舞部門 豊竹咲大夫さん 「絵本太功記・尼ケ崎」などの語り

 ◇大名人と同じ空気吸い
 「絵本太功記・尼ケ崎」(5月・国立小劇場、7月・国立文楽劇場)と「ひらかな盛衰記・逆櫓(さかろ)」(9月・国立小劇場)の優れた語りが評価されての受賞だ。「逆櫓」では、カットされることの多い舟歌を含め、2時間近い長丁場をひとりで語り切った。「父(八代目竹本綱大夫)が1962年に一段語っている。すごいな、いつかカットをせずにやりたいと思っていました」

 父の師である名人、豊竹山城少掾(しょうじょう)に弟子入りした。「弟子といっても孫みたいなもので、かわいがっていただきました。父も甘かったので踊りでも小唄でも、なんでもやらせてくれた。本当に気を入れて大夫をやり出したのは18歳ぐらいからです」

 父もまた名人。各界の一流の才能と昵懇(じっこん)であった。

 「みなさん綱さんの子供だからとかわいがってくださる。歌舞伎の二代目(尾上)松緑さん、先代(中村)勘三郎さん。父のお陰で大先輩の大名人と同じ空気を吸えた。勘三郎さんだったら、ここをどうやるかと考える。全部ヒントになっています」

 「逆櫓」の主人公松右衛門は木曽義仲の家臣樋口兼光の世を忍ぶ仮の姿。船頭権四郎の入り婿となっている。

 「松右衛門も権四郎も男らしいところが好きです。初演は自主公演の『咲大夫の会』。いずれ本興行でと願った演目が、約40年後に熟成されたワインのようにお客様に出せる。それだけ年季の必要な商売だということです。『尼ケ崎』は、父が師匠(山城少掾)の代役で評判を取りました。父も好きだったと思います」

 50代前半で大病も経験。「10カ月ぐらい休んだ。もうこれでしまいかと、ベッドで枕を抱いて泣いたこともある」という。

 健康を取り戻し、2009年には大夫最高位の「切場語り」になった。

 「『逆櫓』を一生懸命に語る私の姿を見て、『こんなふうにやれればいいな』と感じてくれる後輩が出ればと思います。あとは、父が復活した『摂州渡辺橋供養』と『平家女護島(へいけにょごのしま)』の『朱雀(しゅしゃか)御所』を、親孝行の気持ちも込めて、ぜひとも本公演でつとめたい」【小玉祥子】

 ■建築部門 坂茂さん 紙による新しい建築の探究と被災地での活用

 ◇芸術と支援を両輪に
 「思いがけず活動を評価していただき、本当にうれしい」

 仏でポンピドーセンター分館の設計を手がけるなど、建築家として第一線を走る。一方で、阪神大震災や中国・四川大地震の際には仮設住宅を建てるなど、災害支援にも取り組んできた。

 支援プロジェクトの多くで用いてきたのが、ロール状の紙管だ。「軽量で安価なうえ、強度もある。組み立てが比較的容易で、解体後はリサイクルもできます」。一般用、災害用を問わず、合理性と大胆な造形性を兼ね備えた建築が持ち味だ。

 東日本大震災では、避難所でプライバシーが確保できるように、紙管を使った間仕切りを提案した。長さ約2メートルの紙管を柱と梁(はり)のように組み立て、カーテンの布をつるす。震災発生の約2週間後から、ワゴン車に材料を積み込んで被災地を巡回。50の避難所で約1800セットを設置した。

 宮城県女川町では、前例がない3階建ての仮設住宅を手がけた。用地不足を解消するため、輸送用コンテナを市松模様に積んで、隙間(すきま)に大きなガラス窓をはめ込む方式を考案。室内には棚やテーブルを作り付け、屋外広場には集会所や市場を設けた。

 「広さは規定通りでも、より心地よく暮らせる空間を目指しました。従来の仮設住宅は、使い勝手が悪すぎる。入居者の方がコミュニティーを築けるように、周辺環境も整備する必要があります」。モデルケースとして注目を集め、今も多くの自治体関係者が視察に訪れる。

 高校卒業後、米国の大学に留学。念願の建築家になったが、「建築家は本当に社会の役に立っているのか」と悩んだ。1994年、毛布にくるまって震えるルワンダ難民の写真を目にし、支援の現場に飛び込んだ。

 「やってあげている、という気持ちでは長続きしません。僕の場合、建築家として成長するうえでも、支援活動から学ぶことが多かった。逆に公共建築などでの経験がボランティアで生きることもあります。今後も両方の活動を大切に歩んでいきます」【永田晶子】

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 ■人物略歴

 ◇つしま・ゆうこ
 作家。1947年生まれ

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 ■人物略歴

 ◇とよたけ・さきたゆう
 文楽大夫。1944年生まれ

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 ■人物略歴

 ◇ばん・しげる
 建築家。1957年生まれ


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